日記(『波と暮らして』『ラストパイ』鑑賞)

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言葉を使用した表現(小説、漫画、アニメ、映画、舞台、歌、etc……)に慣れ親しんできた私にとって、言葉をほぼ使わない『波と暮らして』を鑑賞するのは新鮮な体験だった。

身体表現と、海辺の男女と犬の絵、ボーカルのない音楽、波の音。

セリフは「どうやってここに来たの」、ただそれだけ。

言語の壁は無い。日本語がわからない外国人も、語彙が少ない子供も、平等に鑑賞することはできる。

その一方で、言葉による規定がないことで、自分が目にしているのは一体何なのか、各々の行き着くゴール地点はまったくバラバラになる。誰もが平等に理解できるし、理解できない、余白の多い作品だ。

青いワンピースと、ブルーシートで「波」を表現していることはわかった。しかし、それだけだ。〈波〉についても〈ある男〉についても、わからないことだらけだ。

出演者はたった2人だが、何役も演じていて、お年寄り、ピエロ、犬……言葉を発さなくても、さまざまな役になれるんだと、身体表現の可能性を目の当たりにした。

ひとつ印象的だったのは、〈波〉が目尻から顎に向かってすーっと人差し指を滑らせた時に、声を上げなくても、涙が見えなくても、泣いていると伝わったことだ。ボディランゲージって、こういうことなのかな。

2人が同一人物かのように同じ動きでシンクロしたり、はたまた体を預けたり、互いに踊り手としての信頼関係ができないと完成しないんだろうなと思った。

本当になめらかで美しいダンスで、波は波でも春の穏やかな海のような……それでいて、少し不気味な雰囲気を醸し出していた演目だった。

続いて『ラストパイ』。セットはシンプルで黒一色、衣装は黒地に差し色で赤が入っている。

演出の黒田育世さんが「本公演はこの対極をなす二作品で一つの世界」と仰っていたように、青と白がメインの『波と暮らして』とは対照的だ。

スキンヘッドの男性がワンピースを着ていたり、かと思えば女性がショートパンツを履いていたり。これにも意味があるんだろうか。

ポスターによると、静と動、生と死の対比もあるようだ。

確かに、穏やかな『波と暮らして』に比べ、『ラストパイ』は音楽からして激しく(『ラストパイ』だけ生演奏つきだった)踊りも絶え間なかった。

『波と暮らして』は〈ある男〉と〈波〉の交流を描いていたが、『ラストパイ』は織山くん(ラストパイには役名が無い)がひたすら1人で踊り続け、その後ろでほかのダンサー(ここでは便宜上「民衆」と呼ぶ)が踊るという構図だった。

民衆の中の1人の男が織山くんに近づき、触れようとする前に倒れてしまう。それをほかの民衆が引きずって元いた場所に戻る。それを繰り返す。

その間、織山くんは民衆に目もくれずにずっと踊っているので、どんどん汗をかいていく。汗をかくのは生きている証で、エネルギーを放ちながら踊っているのに、男が何度も倒れる様がまるで生贄のようだから、そこに死のイメージが湧く。

1人が何度も果敢に近づいては倒れているのか、ステージ上では同一人物だけれど物語としては別人なのかは不明なので、倒れた時の男の生死はわからないが。

民衆が盛り上がっている間も争っている間も織山くんだけは孤独に踊り続けている。

体力的にも精神的にも相当しんどいだろうけれど、観客としてはあっという間の45分間だった。

だいたいの舞台はダブルカテコなのに、今回は4度くらいあった。織山くんがキャストさんの肩を借りてまで袖からまた戻ってきて、を繰り返すのは見ていて心配になった。

再演なので「45分間踊りっぱなし」というのは前もってわかっているけれど、カテコについては何とか出来ないのかな。それとも本人たっての希望なのだろうか?

これについては私が言及するまでもなく、当然彼のファンが最も心配しているはずだが……明日で大千秋楽なので無事に幕が降りるのを待つしかない。

カテコは抜きにして演目の話に戻ると、織山くんは「ダンスを好き」とかいうレベルを遥かに超えてダンスに人生の重きを置いている印象なので、黒田育世さんはよくぞ見つけ出したなあと感心した。適材適所というやつだ。

織山くんの美学には危うさもあり、大人として安易に彼のスタンス(今回に限らず限界まで踊り続けるとか)を支持することはできないのだけれど、「ここまでのエネルギーは10代の今だからこそだろうな」とも思うので、難しい。

現に織山くんは凄まじかった。私はダンスのことはよくわからないし、コンテンポラリーダンスとなるとより難解に見えるのだが、とにかく「今日、劇場に来て良かったな」と思えた時点で価値がある。

舞台鑑賞は時間、体力、金銭と様々なコストがかかるので、「来て良かったな」と思えたらそれだけで十分有意義だと思う。この二作品はそう思わせてくれたし、少年忍者が好きな人間として、重要な役を織山くんが担った事に対する満足感もあった。

先日まで上演されていたミュージカル『テニスの王子様』でも、痛みに耐えながら戦う手塚部長と跡部部長の試合を「ずっと見ていたい」と言う場面があったので、『ラストパイ』観劇中に「織山尚大は手塚国光なのかもしれない」とか思ったりした。

正しさと美しさが両立するとは限らないというのは残酷だ。

ただ決して、無理するイコール美しいというわけではないので、自分を大切にしてほしくもある。

終わり

余談

休憩中、ロビーですれ違った子の髪がめちゃくちゃにサラサラで背格好も青木くんぽいなと思ったらツイッターで見学の目撃情報が上がっていた。

一瞬のことで顔が見えなかったのに髪質でわかってしまうレベルで髪がサラサラですごい。

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この記事を書いた人

2022年秋に突然少年忍者にハマった新規オタクです。現場の感想や日記を書いています。

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